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岡山地方裁判所津山支部 昭和63年(ワ)123号 判決 1991年3月29日

原告(反訴被告) 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 香山忠志

被告(反訴原告) 乙山花子

被告 乙山松子

右二名訴訟代理人弁護士 山本敬是

主文

一1  被告(反訴原告)乙山花子は、原告(反訴被告)に対し、金一五〇万円及びこれに対する昭和六三年八月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告(反訴原告)乙山花子は、原告(反訴被告)に対し、別紙目録記載の指輪を引渡せ。

3  原告(反訴被告)の被告(反訴原告)乙山花子に対するその余の請求及び被告乙山松子に対する請求をいずれも棄却する。

二1  被告(反訴原告)乙山花子の婚姻費用分担金請求を却下する。

2  被告(反訴原告)乙山花子のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、本訴分については、原告(反訴被告)に生じた費用の三分の一と被告(反訴原告)乙山花子に生じた費用を被告(反訴原告)乙山花子の負担とし、原告(反訴被告)に生じたその余の費用と被告乙山松子に生じた費用を原告(反訴被告)の負担とし、反訴分については、全て被告(反訴原告)乙山花子の負担とする。

四  この判決一1及び2項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一申立て

一  本訴

1  被告らは、原告に対し、各自金五〇〇万円及びこれに対する昭和六三年八月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告乙山花子は、原告に対し、別紙目録記載の指輪を引渡せ。

二  反訴

反訴被告は、反訴原告に対し、金五九二万円及びこれに対する昭和六三年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二主張

一  本訴

1  原告

(一) 原告と被告乙山花子(以下「被告花子」という。)は、昭和六二年九月一一日丙川春子(以下花子の実家である寺の檀徒であり、前住職竹夫の友人、梅夫の先生。)の媒酌で結婚式を挙げ、同月一六日婚姻届をした。両人とも再婚であった。

そして、その後の昭和六三年六月二〇日、両人は協議離婚した。

(二) 原告が被告花子と婚姻するに至ったのは、次の経緯からである。

原告は、昭和六一年一月初め、高校時代の友人の乙山一郎(被告花子の兄)が甲田市の寺の住職になっていることを知り、電話で連絡をとった後、同年春、帰岡の際、一郎を訪問した。原告は、右電話にて被告花子が離婚して実家に帰っている事を知っていたので、逢わせてくれと一郎に言い、一郎から被告花子の紹介を受けた。それから文通交際した後、原告は被告花子に結婚を申し入れた。一郎は丙川に媒酌を依頼した。原告もその時同行した。そして、丙川が日を選んで乙山家を訪問し、母親である被告乙山松子(以下「被告松子」という。)、伯母の戊田、一郎、被告花子を交えて縁談を話したところ、被告花子において快く婚姻を承諾したものであった。

(三)(1) 原告と被告花子との性生活の実態

(ア) 被告花子と原告とは、結婚初夜から後記別居に至るまで唯の一度も全く性交渉がなかった。原告が求めると、生理であるとか疲れているとかいってこれを拒否し続けていたが、次第に拒否の態度がエスカレートし、昭和六二年九月中旬こうからは「いやじゃ!」「大嫌い!」「そねん事するなら別れちゃる!やな事するなよな!」とどなり声を上げ、恐ろしい形相で原告をにらみつけるようになり、時には原告の腕を殴りつけ、全く寄せつけようとせず、同年一〇月中旬ころには、「別れて欲しくなければ乙田と丙田(当時二人が居住していた乙原県丁田郡丙田町)とを一ケ月毎に通わせろ。」などと無理なことを言い、原告が「夫婦は皆セックスするもんじゃ。」と言うと、「そんなのそっちの都合じゃん。」と言うのみであった。被告花子は二度も眼の手術を受けているため、殴ると失明の恐れもあったので、原告は被告花子に唯の一度も暴力を振るわなかった。

原告が、「どこの夫婦も皆してる。」と言うと、被告花子は「させないって分ってたら、結婚しなかった?」と鼻でせせら笑った。

原告が性交渉を求めるごとに喧嘩になり、一番楽しいはずの新婚生活が陰湿で憂うつなものとなった。そのうえ、「いつでも別れてやる。」との強気な姿勢は結婚以来全く変わらず、原告の言葉の揚げ足を取っては喧嘩を売り、また一度機嫌をそこねると数日は尾を引いた。そのため、原告は、被告花子の神経を刺激せぬように、一言一言に気を遣った。原告が仕事に疲れて帰宅しても、被告花子は、「お帰り。」の一言もなく、殺気立った視線を浴びせ、殆ど口もきかず、原告としては気の休まる時はなかった。

(イ) 原告は昭和六三年一月一四日一郎の結婚式に出席した。同月一六日乙田へ被告花子を迎えに行ったが、被告花子は、家におらず、友人と神戸に遊びに行っていた。

同日の夜は岡山の家に泊まるよう、原告の父親から言われていたが、何を考えていたのか、その日被告花子は夜になってから乙田の家に戻って来た。原告が「岡山の家に泊まるのだろう。」と言うやいなや、被告花子は、「こねん暗うなって荷物をいちいち上げおろしせにゃならんのに出来るわけなかろう…。」と、いきなり喧嘩腰で原告に喰ってかかったのであった。あげくに、「甲野の人間は、他人からしてもらう事だけ知って、人に与えるという事は知らんのかな!」と一人で激怒を始めた。

被告松子は、これを見て、前の被告花子の亭主の時と全く同じだ、という趣旨のことを言って真青な表情になった。

同月一七日には丙田の住居へ連れて帰ったが、途中、被告花子はずっと泣き続け、丙田に着くなり「あんたが憎い。あんたを殺して私も死にてえ。だけどそんな事したらまたお母ちゃんが悲しむけん、それもできん。そりゃ、結婚したのは私の責任じゃあ。ごはんも作ったげる。掃除も洗濯もしたげるけん。別れられたら困るんじゃろう。出世がしたいんじゃろう。形だけはしてあげるから。どうせ私はこんな体じゃ。以後一切寝るところは別じゃ!一切あんたなんかに触れて欲しゅうないけん。同じ部屋で寝ることは出来んけん。もう愛する事なんか出来んけん。」と言い、以後被告花子は寝室を異にし、必要な事以外は話をしなくなった。原告が被告花子に近づくと、テレビを観ている途中でもその場を立ち、被告花子の寝室に入ると「出て行ってや!」と恐ろしい形相でにらみつけ、一切原告を中に入れようとはせず、それはもはや全く夫婦とは言えない異常な生活であった。

(ウ) 被告花子が性交渉を拒否するのは今回が最初ではなく、前夫との結婚のときも性交渉を拒否しており、被告花子の方から慰謝料金一〇〇万円を支払って別れたことを、原告は後で知ったのであった。

(エ) 被告花子が性交渉を拒否する理由は、被告花子の体には異常はなく、精神的な面に問題があることが分かった。このことは、被告花子が、同年一月下旬ころ、原告と同居することを嫌い、奈良に住む親戚の乙山夏子を頼って数日同所に滞在したものであるが、その折同人が被告花子を連れて産婦人科に行き、診察してもらった結果、そのように診断されたものである(被告花子は、夏子に、前夫と被告花子の経緯について全てを話し、相談をしていた。以前、夏子が被告花子に問い質した折、前夫と性生活が出来ない事を話したという。)。

(2) 原告に対する侮辱、暴言及び暴力

被告花子は、原告が性交渉を求めるたびに、雑言、暴言を発し、時折暴力にも及んだ。

原告が同年二月六日乙原県丙原市へ転居のためアパートを探しに行くに際し、被告花子も嫌々ながらついて来た。その際、被告花子は「こねんな男と一緒ならどこに住もうと一緒じゃ。」「方除でもして、少しは人間らしい気持になったらどうなら。」と原告を侮辱し、あるいは暴言を吐き(なお、同月一四日引越に際し、手伝も掃除もしなかった。)、同月一三日には、原告が実父と電話をした後、電話の内容が気にさわったのか原告を殴ったり背後から足蹴りした。これを見た被告松子は被告花子を乙田の実家に連れて帰ると言い出した(この時、原告は被告松子に「一度連れて帰ると被告花子は二度と帰って来ませんよ。」と言うと、被告松子は「多分な。」と平然と言った。)。

(3) 同居協力義務の放棄

被告花子は、原告に何の連絡も了解もなく、同月一八日、被告松子と伯母と共に乙田市乙原の実家に帰り、自ら同居協力義務を放棄した。

(4) 性格

被告花子はその全てが自己中心的であり、仕事で疲れて帰る夫への思いやりなど全くなく、きわめて好戦的であって、意に添わぬことがあると、殺気立ち激怒する。第三者からみると、社交性に極めて富んでおり、明朗、快活であるかのようにみえるが、夫である原告に対しては極めて冷淡であり表裏の二面性を発揮した。極めて典型的な二重人格である。

(四) 被告松子の関与

(1) 被告松子は、娘の被告花子が前婚破綻原因等に照らして性交渉拒否症もしくは性癖、心因症等を持っていること及び将来正常な婚姻関係を継続することは不可能であることを充分承知していながら、それを内密にして原告と結婚させた。

(2) そのうえ、被告松子は、娘である被告花子に対し性交渉拒否に対する対策や、婚姻保持のための説得や努力を何らせず、また、原告に詫びるどころか、性生活の出来ぬ娘を恰も正当化し、

(ア) 同年一月三〇日、原告が「せめて親に孫の顔を見せてやりたい。」と言うと、「それはあなたのエゴでしょう。」とか、同年二月上旬、原告が「夫婦にあれがないと悲惨です。」と言うと、「あれがあるばかりが夫婦ではないでしょう。」「ない夫婦だって世間にはよくあるのよ。私が知っているだけでも二件もある。あなたの世間が狭いのよ。こんなに心の狭い人だったとは。」と平然と言ったりして、原告を侮辱、罵倒し、

(イ) 同年二月一日ころより同月一八日まで、被告松子と伯母の戊田が原告方に押しかけ、原告を一人別の部屋に寝起きさせ、被告花子を囲んで川の字に寝起きするという異常性を発揮し、原告と被告花子の婚姻生活を妨害し、破綻に導き、

(ウ) のみならず、前記のとおり、原告が翻意を促したにも拘らず、同月一八日には一方的に被告花子を実家に連れ帰り、夫婦の婚姻生活を一層破綻させた。

(五) 離婚届を提出するに至った経緯

その後の同年四月五日ころ、被告花子は協議離婚届に署名・捺印のうえ、これを原告宛郵送してきた。原告自身も離婚はやむを得ないと考えていた。原告は岡山家庭裁判所津山支部に夫婦関係調整の申立てをなしていたが、被告花子において慰謝料を支払わなくてよいと言うのなら調停離婚に応ずるというものであり、離婚については合意ができていたが、金員の支払について合意が得られなかったため、結局不成立となった。その後、原告において同年六月二〇日離婚届に署名・押印のうえこれを提出し、協議離婚届が受理され、同日協議離婚となったものである。

(六) 被告両名の責任

(1) 被告花子は性交渉拒否、暴言、暴力、同居・協力の拒否等により、一度として原告を夫として扱うことなく、原告を虐待し、婚姻関係を阻止し、破綻させたものであるから、原告に対し債務不履行責任ないしは不法行為責任を負うものである。

(2) 被告松子は、前記のとおり、性交渉拒否の娘を持つ母親として、それを知りながら原告と結婚させたにもかかわらず、母親として、また、人間として何ら適当な対策を取ることもせず、逆に原告を侮辱、罵倒するなどし、あげく原告を被告花子に寄せつけないようにし、被告花子を実家に連れ帰るなどし、婚姻破綻に導いたものであるから、原告に対し不法行為責任を負うものである。

(3) 被告花子の不法行為責任と被告松子の不法行為責任については、被告両名は民法七一九条、七〇九条により共同不法行為責任を負うものである。

(七) 結納として交付したサファイアの指輪一個についての経緯

昭和六二年七月中旬、媒酌人である丙川と原告の両親が被告らの家を訪れ、婚姻の固めをした。その際結納金の話をしたところ、被告松子は、再婚であるので嫁入道具は前のときのが揃っている、結納金を戴いたら新しい嫁入道具を揃えなければならない、無駄なことはしたくないから結納金はいらない、と強く固執した。

そこで、原告の両親も、原告も再婚であり、洋服ダンス、応接セット、台所用品、水屋、冷蔵庫、レンジ等々既にある、ただし、タンスと鏡台はありませんと言い、お互いに無駄なことはやめましょうということになった。

後日、丙川と原告の両親と話し合いがなされ、丙川から「結納については先方が強くいらないと固執されますので、熨斗にいつまでもご縁がありますようにとのことで、五円硬貨を入れて下さい。結納金の代わりとしてサファイアの指輪を熨斗入れのとき持って行って下さい。」との申入れがあったので、原告の両親は快く承諾し、丙川の息子が経営している「甲原」から別紙目録記載のサファイアの指輪一個を原告の代理にて購入し、同年七月二四日、丙川と原告の両親が同道して熨斗入れをしたものである。

なお、昭和六三年三月一〇日、原告の両親が丙川を訪れた際、丙川は「私の責任において指輪は返してもらいます。」と言明し、その後丙川が被告ら方に電話したところ、一郎が出て、「この件については丁原夏夫に一切を委任している。」と言い逃げし、全く取り付く島もなかったと嘆いていた。

(八) 損害

(1) 原告は、被告両名から虐待され、再婚にも失敗したことで多大の精神的苦痛を受け、二度の結婚に失敗したことにより社会的信用、評価を完全に失墜した。また、経済的にも損害を蒙った。

今後、再婚を考える場合にも、三度目という事で、非常に困難な状況に置かれる。

右苦痛を慰藉するには金一〇〇〇万円が相当であるが、その内金五〇〇万円を一部請求する。

(2) 原告は、被告花子に、前記のとおり、本件指輪一個(時価金四七万円相当)を結納として交付した。

しかし、右のとおり婚姻の目的は達してないから、被告花子は右指輪を返還する義務がある。

(九) よって、原告は、被告両名に対し、損害賠償として各自金五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和六三年八月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払と、被告花子に対し、本件指輪一個の引渡を請求する。

(一〇) 被告らの主張に対する反論

被告らは、被告花子が双方が離婚するにつき後記2主張のようなことを絶対条件として離婚届用紙を送付したもので、原告もこれを了解して離婚届出をしたものであると主張しているが、右離婚届用紙は同年四月五日付で郵送されているところ、これは、原告が同年三月二一日岡山家庭裁判所津山支部へ前記夫婦関係調整の申立てをし、その調停期日呼出状が被告花子に送達された後と思われる。のみならず同封されてきた手紙には双方一切金銭上の事は請求し合わない代わりに離婚届に押印するとの記載はない。

原告は、被告花子に対し、「調停の申立てをしていることは承知の筈。全ては調停の場で決着をつける以外ない。離婚届は預っておく。持参した金五〇万円を返せとの事であるが寝耳に水の話。理解出来ない。」と回答した。

原告自身、離婚はやむを得ないと考えていたが、前述のとおり、既に調停の申立てをしており、原告自身の社会的名誉のため調停離婚を希望していたものであるが、被告花子は、離婚原因が自らの心身の異常に起因したものであるにも拘らず、自分の取った行動、言動等を正当化しようとし、原告に与えた精神的苦痛と社会的名誉の損傷、終生消えることのない汚点と経済的損害に対し慰謝しようとしない、独善的な主張のため、調停不成立となったものである。

このため、離婚については、同年四月五日付の手紙による被告花子の離婚についての意思を考慮し、被告花子が同封していた離婚届に署名押印し、協議離婚届を提出して受理されたものである。

2  被告ら

原告と被告花子の婚姻は、同年六月二〇日「協議離婚成立」として、原告の手により右届出が完了している。

しかして、右協議離婚の用紙は、被告花子において「すべて円満解決を絶対的条件として」送付したものであり、それを原告が了解したればこそ右届出を完了したのである。

二  反訴

1  反訴原告

(一) 反訴原告の結婚前の生活と将来の夢について

反訴原告は一度結婚に破れたが、生来働く事が好きで、将来は自分の店を持つ事を夢として、再婚についても全く考えずに一生懸命自分の仕事に打込んでいた。

右反訴原告の職場での経験は已に十年に達していて安定した生活の毎日であった。

(二) 反訴被告との出遭いと結婚について

(1) 反訴原告が反訴被告に始めて会ったのは、昭和六一年五月のゴールデンウィークの時で、反訴原告の兄の高校の友人として訪ねて来た時である。

(2) その際お互いに離婚を経験した者同志で話が弾んだ。

やがて、反訴原告の兄の方に、電話又は手紙で反訴被告から「結婚の申込み」があったが、反訴原告は、最初の結婚に失望していたこともあって固く断わって来ていた。

(3) ところが、約一年余も申出が続き、反訴原告の兄の檀家の丙川を通じての話もあり、且つ又、反訴被告は「暫くは別居結婚でもいいから。」とまで熱心な申入れもしたので、反訴原告も結婚を決心した。

その際、反訴被告からは御縁があるからとのことで「五円」だけの結納で、昭和六二年九月一六日婚姻の届出をなした。

因みに、丙川は、反訴原告に対し、本件指輪は万一のことがあっても返す必要がない旨の話をしており、本件指輪は結納の代りではなく、あくまで贈与されたものである。

(4) このように、反訴被告は、あらゆる甘言を用いて反訴原告との結婚に漕ぎつけたものである。

(三) 夫婦生活の実態とその要約

(1) ところが、反訴原告を新生活の嫁として迎えるべき新居としての反訴被告の丙田町の住居はその時点で豚小屋同然で、凡そ新婚の妻を迎える新居の部屋とはいえない状況であった。

しかも、反訴原告が何よりも決定的な打撃を受けたことは、結婚前、反訴原告に対して、前の別れた妻について言っていた悪口、雑言とは裏腹に、反訴被告が百枚近くの前妻の写真を大切にケースに保管しており、そのうえ、反訴原告に対して、「僕は前の妻を今でも愛している。別れたくて別れたのではない。別れないと親が『勘当する。』と言ったから仕方がなかった。僕は最後まで帰って来て欲しかった。」等と言いだしたことである。新しいスタートに夢を抱きつつ、四国の新居へ嫁いだ反訴原告は、その夢を先ず当初より決定的に打ちくだかれたのが、本件の重大なる破綻への発端でもあった。

その後の反訴被告の言動は、反訴原告が生理の関係等々で性交渉に充分応じないことの不満、また、仕事の愚痴、前の別れた妻の話等々で日を追って異常性が激しくなった。

遂には、前の妻との性生活の話まで反訴原告にする状況であった。

(2) しかも、僅かの給料で生活がぎりぎりの反訴原告は、前述の如き精神的打撃を受けた日常で、反訴原告がその気にもなれないため性生活を拒めば、反訴被告は部屋中を大声で怒鳴ったり、物を叩き壊したり、食卓を傷付けたり等し、反訴原告も精神的におかしくなりそうであったが、折角の再婚という事もあり誰にも泣言を話せないまま、一生懸命日常生活を送るべく努力した。

(3) 右は二人の生活のほんの一端であり、結局、反訴被告の異常な言動が主要因となって二人の婚姻は決定的に破綻し、反訴原告は、追われる如く実家へ帰宅せざるを得なかったものである。

(四) 反訴原告は、婚姻前に自ら働いて得た収入を貯金として金五〇万円反訴被告方に持参しており、それがそのまま反訴被告の手許にある。

(五) よって、反訴原告は、反訴被告に対し、①反訴原告が実家へ帰らざるを得なかった少なくとも六ヶ月間の婚姻費用の分担金として月金七万円相当で合計金四二万円、②右婚姻破綻による慰謝料として金五〇〇万円、③前記貯金相当額の金五〇万円及びこれらに対する昭和六三年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  反訴被告

(一)(1) 反訴原告は、婚姻費用の分担金として金四二万円の支払を求めているが、この請求は不適法であり却下されるべきである。

民法七六〇条による婚姻費用の分担額につき当事者間で協議が整わないときは、家事審判法の定めるところにより家庭裁判所が審判によって定めるべき事項であり、通常裁判所が判決手続で判断すべきでないことは確定した判例(最判昭和四二年二月一七日民集二一―一―一三三他)であり、かつ、家事審判事件が誤って訴訟事件として地方裁判所に提起された場合、民訴法三〇条一項により、これを他の管轄裁判所へ移送することもできないことも確定した判例(最判昭和三八年一一月一五日民集一七―一一―一三六三)である。

(二) 反訴被告は婚姻と同時に貯金通帳及びキャッシュカードを反訴原告に手渡していた。勤務先である乙野株式会社からの給料は銀行口座振込である。新婚旅行から帰り岡山の反訴被告の実家で一泊した時、丙田町に帰る際、「生活費の足しに…」と反訴被告の父から反訴原告は金五〇万円をもらっている。更に、反訴被告の両親が丙田町の住居を訪れた際、金一三万円を「生活費の足しに」ともらっており、婚姻中の生活維持の費用は全て夫である反訴被告側が負担している。

また、反訴原告は、反訴被告に一言の相談もなく、反訴原告の母、伯母と共に一方的に婚姻生活を放棄して実家へ無断で帰ったもので、反訴原告から婚姻費用の支払を請求されるいわれはない。

(三) 乙原県丙田町の住居は男ひとりで洗濯や掃除は充分してなく、お世辞にもきれいとは言えなかったが、反訴原告の言う「豚小屋」とは言いすぎである。別れた妻の写真は、前の妻と別れた後両親が来た際全て持ち帰り処分してもらったが、たまたまスライドフィルムが未処分のまま残っていたものである。前妻の事については自分から口に出したことはなく、反訴原告が色々と興味をもって聞くので話したりはしたが反訴原告とて前の亭主の悪口を口にしていた。反訴原告が主張している「今でも愛している。別れたくて別れたのではない。別れないと親が勘当すると言ったから仕方がなかった。最後まで帰って来て欲しかった。」などと新しい妻に言う馬鹿はいない。

反訴被告は、結婚に際し、新しくアパートを探すことを丙川に話した。丙川はこの事を反訴原告に伝えたところ、反訴原告は「おばちゃん、私(反訴原告)はそんな事は一切気にしないからアパートを変わる必要ない。」と言ったという。更に、反訴原告は新しいスタートに夢を抱きつつ四国の新居へ嫁いだ、とあるが、嫁入りに際し夫婦の寝る布団はおろか、自分の着て寝る布団すら持って来ず、全く着のみ着のままで嫁いで来た。新婚生活に夢を抱いて来る者のすることとは到底考えられない。反訴原告は新婚旅行中生理であると性交渉を拒否していたが、新婚旅行から帰った日、反訴被告の両親の所で一泊したが、姑である母親よりも先に風呂に入り、既にその時生理は終わっていたと思われる。しかしながら、岡山から丙田町の住居に帰ったその夜も性交渉を拒否し、その後も求める毎に暴言、雑言を繰り返すまでエスカレートした。婚姻期間中、唯の一度も性交をさせなかった。結婚の夢を決定的に打ち砕かれたのは反訴原告ではなく、反訴被告である。

(四)(1) 給料は確かに僅かではあるが、世間一般のサラリーマンはこのような安い給料で生活している。前記のとおり、新婚旅行から帰って四国へ出発する際、反訴原告は生活の足しにと反訴被告の父から金五〇万円を渡してもらっているし、また、その後反訴被告の両親が四国を訪れた際も金一三万円をもらっているのである。

新婚旅行から帰り四国に渡る際、生活に不自由しないようにとわざわざ反訴被告の両親が準備してくれた米、醤油、味噌、のり、食用油を持ち帰っている。その後も毎月宅急便で米その他を送ってくれ、反訴原告は生活ぎりぎりどころか、むしろ安月給とは言いながらゆとりある程の生活が可能であった。正月に帰岡した折も、同様に色々な物を車の中に積み込んで持ち帰るなど、米、醤油、食用油等は結婚以来一度も買ったことがない(買う必要が全くなかったのである。)。また、反訴被告の伯母も時折小包で色々の品を送ってくれたので生活がぎりぎりであったとは言い難い。

(2) もし生活が苦しかったと言うのであるなら、その原因は反訴原告の浪費にある。

反訴原告は次のように一方的に浪費している。

(ア) 結婚以来の電話料を見ると、昭和六二年一〇月分金一万一五四〇円、一一月分金一万七一三〇円、一二月分金一万五一七〇円、翌年一月分金一万五一〇〇円と、一般の家庭では考えられない程電話を使用している。大部分は反訴原告が実家或いは友人のところへ電話したものである(反訴被告の実家へ電話したことは数回で、そのときは電話料が高くつくというのでいったん切らせて、両親の方からかけ直してくれていた。)。

(イ) 反訴原告はテニスを毎週週末にやりたいとせがんでいた。ボーナス前ころから戊原の「チェリーテニスクラブ」への入会をせがみ、ボーナスが出ると正会員(反訴被告)、家族会員(反訴原告)、テニススクールに入会し、入会金(正会員)四万円、(家族)三万円計金七万円、月会費(正)五〇〇〇円、(家族)四〇〇〇円計金九〇〇〇円、更に、テニススクール入会金三〇〇〇円、指導料一〇回分金一万五〇〇〇円を支払い、約十数万円を浪費している。反訴被告は余り好きなスポーツではないので、学生時代少ししていた事もあったが、卒業以来再婚するまで一度もラケットを使用していなかった。

(ウ) また、英語を習いたいと言い、パール英会話スクールのコースを契約した(反訴被告名義にて金三万三二六四円で契約)。二回受講しただけでやめているが、現在も反訴被告の預金口座から毎月自動的に引き落とされている。

この契約をする時、反訴原告は、狡猾にも、反訴被告をしてその母親に電話をかけさせ、月々の月謝の支払額を出さすよう要請させている。

(エ) 結婚後二度反訴原告の実家へ行ったが、その際反訴原告は、自分の多くの友人や知人或いは親戚に対し、数万円も土産を買い、まとめて実家に送っており、浪費も甚だしい。

(3) 結婚して夫たる反訴被告が妻に性交を求めるのは、世間一般の結婚生活とすれば当然のことである。しかし性交渉がないのが当然であるかのような高飛車な態度と、鼻でせせら笑う倣満な態度、それに伴う雑言、暴言、罵倒の連続、あげくの暴力に至る狼籍に逢い、平静でいられる男はまずいない。性格の激しい男なら、妻を殴り倒す場合も多い筈である。反訴被告は唯の一度も反訴原告を殴っていない。殴り倒すかわりに物を叩き壊したまでである(反訴原告は眼の手術をしているので。)。仕事から帰っても機嫌が悪いと「お帰り。」の言葉もなく、殆ど口もきかない状態で「一生懸命日常生活を送るべく努力した。」とは真っ赤な偽りである。

第三当裁判所の判断(以下、当事者の肩書は本訴のそれである。)

一  原告の被告花子に対する慰謝料請求について

1  第二の一1(一)は当事者間に争いがない。

2(一)  第二の一1(二)、(三)(1)、(2)、(3)については、《証拠省略》中にこれに沿う部分がある。

これによれば、原告・被告花子間の婚姻は被告花子のいわれなき性交渉拒否、暴言、暴力、同居・協力の拒否等により破綻させられたというのである。

(二) ところで、甲一一は乙山夏子(秋子)作成の陳述書であるが(甲野太郎証言により成立認。)これによると、夏子は、被告花子と前夫との結婚生活が被告花子が性交渉を拒絶するために喧嘩の絶えないものであったこと、そのため、被告花子の方が金一〇〇万円を前夫に支払い離婚したことなどを被告花子から聞いており、また、「異性に身体を触られると気持ちが悪い。」などということを被告花子から聞かされているというのである。更に、夏子は、昭和六二年一〇月下旬ころ、被告花子が電話してきて話すうちに、その夫婦生活の実態を知るに至った。そして、被告花子には性交渉は夫婦生活にはなくてはならないものだから応ずるようにと説得した。その後、何度か被告花子とは電話で話したが、進展が見られないので、昭和六三年一月下旬ころ、自分の判断で被告花子を産婦人科へ連れて行き、診察してもらったところ、身体には異常はないが、年齢の割に精神面に幼児的なところがあると医師から言われたというのである。

しかして、《証拠省略》によれば、夏子は被告花子とは格別に仲の良い父方の親戚であることが認められるのであって、その夏子が殊更虚偽の陳述書を作成することは到底考えられず、右内容は真実であると認めるべきものである。

(三) 一方、被告花子は、原告・被告花子の婚姻生活の実態について、《証拠省略》中において、原告・被告花子間の婚姻は前妻のことを何時までも言うなどの原告の異常な言動等により破綻したものであり、原告・被告花子間には性交渉も若干はあったというのである。

しかしながら、これら証拠はいずれも、夏子との交渉について、前記真実と認めるべき事柄とは全然相違する趣旨のことが述べられているなど、容易く措信できるものではないのである。

(四) こうしてみると、前記原告の陳述書や供述は、真実と認めるべき夏子の陳述書とも符合して矛盾がみられないものであるし、夏子の陳述書のとおり被告花子が男性との性交渉に耐えられない女性であるとの前提で検討すると、全般的にむしろ自然なあり得べき内容のものとして充分信用に値すると考えられる。

すなわち、原告・被告花子の婚姻生活の実態は、前記原告の主張のとおりの状況であったものと認めるべきである。

3  原告・被告花子間の婚姻は、前記検討の結果からすると、結局被告花子の男性との性交渉に耐えられない性質から来る原告との性交渉拒否により両者の融和を欠いて破綻するに至ったものと認められるが、そもそも婚姻は一般には子孫の育成を重要な目的としてなされるものであること常識であって、夫婦間の性交渉もその意味では通常伴うべき婚姻の営みであり、当事者がこれに期待する感情を抱くのも極当たり前の自然の発露である。

しかるに、被告花子は原告と婚姻しながら性交渉を全然拒否し続け、剰え前記のような言動・行動に及ぶなどして婚姻を破綻せしめたのであるから、原告に対し、不法行為責任に基づき、よって蒙らせた精神的苦痛を慰謝すべき義務があるというべきである。

4  しかして、原告に認められるべき慰謝料額は、本件に顕れた一切の事情を総合勘案し、金一五〇万円が相当である。

5  ところで、被告花子は、この点に関して、第二の一2の如く主張する。

確かに、甲八によれば、被告花子としては離婚届用紙を原告に送付するに際し爾後慰謝料問題等生ずることのないことを期待していた節は窺える。しかし、協議離婚するなら金銭的には互いに一切請求し合わないという意味での円満解決を「絶対条件」とするというのであれば、右は重要な条件であるからその旨明示すべきが当然であるが、甲八中にはそのような記載はないのであり、むしろ、被告花子は、自己が持参した預金の返還請求をするなど金銭的請求を自ら示しているのである。

このように、被告花子の主張するような「絶対条件」が離婚届用紙送付に際し付されていたとは認め難いし、また、このような相互に金銭的に請求し合わないということにつき原告との間で何らかの合意が成ったとは前記原告の陳述書や供述に徴しても到底認め難いところである。

二  原告の被告松子に対する慰謝料請求について

1  《証拠省略》によれば、被告松子が原告に対して被告花子の前回の離婚原因を告げなかったこと、被告松子と原告とが第二の一1(四)(2)(ア)のとおりのやりとりをしたこと、被告松子が第二の一1(四)(2)(イ)、(ウ)のような行動を取ったことが認められる。

2  そこで検討するに、そもそも、《証拠省略》によれば、原告は婚姻時三一歳、被告花子は同じく二七歳の大人であって、両者婚姻するか否かはもとより二人が互いに相手を充分知り合う努力をする等その責任で決めるべき事柄である。

そして、右交際期間中、前記のような婚姻の本質に鑑み、被告花子が前記の如き前回の離婚原因を原告に告知すべき義務があったのではないかということは考え得るとしても、婚姻当事者でもない被告松子がそのようなことを原告に告知すべき法的な義務があったとは考え難い。

したがって、被告松子が原告に対し被告花子との婚姻に先立って前回の離婚原因を告知しなかったからといって、道義的にはともかく、それが原告に対する不法行為になるとは言い難いというべきである。

3  次に、第二の一1(四)(2)(ア)の被告松子の言動は、もとより被告花子の立場に偏したものであって、凡そ婚姻中の夫に対して夥多を求めているものであるが、ただ、これが侮辱等と評価できるためには、原告を殊更貶める意思での発言でなければならないところ、被告松子が右のような発言をしたのは、そのような意図ではなく、原告に対し忍耐を求めるための説得としてのものであると窺われるのであって、これが原告に対する侮辱等に当たるとするのは如何かと思われる。

4  また、第二の一1(四)(2)(イ)、(ウ)の被告松子の行動については、前記検討のとおりの原告・被告花子の婚姻生活の状況からすると、右のころには、既に両者間の婚姻生活は凡そ夫婦の実体を有さぬ異常な状況であって、全く相互の融和を欠いて回復の余地もなく、破綻し切っていたものというほかないのである。

このように、婚姻当事者間で完全な破綻を招来させている以上、今更被告松子が行動で何程のことをしようとも、原告主張の如く被告松子が原告・被告花子の婚姻破綻を招来ないし助長させたという訳にはいかないというべきである。

5  したがって、原告の被告松子に対する不法行為に基づく慰謝料請求は認容することのできないものである。

三  原告の被告花子に対する本件指輪の引渡請求について

1  《証拠省略》によれば、第二の一1(七)が肯認できる。

被告花子は、本件指輪については丙川から婚姻に万一のことがあっても返す必要がないと聞かされており、したがって、結納代わりでなく純然たる贈与である旨主張し、《証拠省略》中にはこれに沿う部分がある。しかし、若し、丙川が右のような言動をしたとすれば、右言動は原告・被告花子間の婚姻が破局を迎えることを予測したうえでのことということになるが、凡そ人生の慶事たる婚姻の仲人たる立場にある者がそのような不吉な言動をするなどとは常識的にいって全く考えられず、右は到底措信できない。

してみると、本件指輪は結納代わりに原告から被告花子に交付されたものと認めるべきである。

2  原告・被告花子間の婚姻が約五ヵ月の短期で同居生活を終息し、しかも、その間の夫婦生活たるや前記認定のとおりであることに鑑みると、両者間の婚姻はその目的を達成したものとは到底言えないところである。

したがって、被告花子は、原告に対し、本件指輪を返還する義務があるというべきである。

四  被告花子の婚姻費用分担金請求について

婚姻費用の分担額については、当事者間で協議が整わない場合には、家事審判法の定めるところにより家庭裁判所が審判によって定めるものであり、通常裁判所が判決手続で判断すべき事柄ではないと解される。

したがって、被告花子の右請求は不適法として却下を免れない。

五  被告花子の慰謝料請求について

前記検討の結果から明らかなとおり、原告・被告花子間の婚姻は被告花子の性交渉拒否等により破綻したものであって、右慰謝料請求は認容できるものではない。

六  被告花子の貯金相当額金員の返還請求について

右については、被告花子の供述中にこれに沿う部分があるものの、それを裏付けるに足りる証拠がないなど、証明が充分とは言い難い。

したがって、右請求も更にしかく検討するまでもなく認容することのできないものである。

(裁判官 佐藤拓)

<以下省略>

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